ゲーム
投稿日:2020年07月08日更新日:2020年11月19日

【ラスアス2考察】炎上・低評価とポリコレ配慮は無関係である理由【ラストオブアス2】

待望の続編として発売されたものの、ファンを中心に低評価が大量に付けられ大炎上中の『ラストオブアス2(The Last of Us Part II)』。

ご覧の通り、日本のAmazonや海外レビューサイトMetacriticでは綺麗に評価真っ二つですね。


炎上の理由の一つとして『ポリコレへの配慮』が挙げられていますが、私はそうは思いません。その理由について今回は取り上げていきたいと思います(重大なネタバレは避けますが、若干のネタバレはあります)。

ラストオブアス2の炎上・低評価とポリコレ配慮は実は無関係である

ラストオブアス2の炎上・低評価はポリコレに配慮したことは無関係です。その明確な理由をお話しします。

ポリコレ(political correctness)とは、性別・LGBT・人種・政治・宗教などに対する偏見・差別を防ぐ為、中立・公平な表現を使用することを指します。

ファン絶賛の前作もポリコレに配慮した作品だった

その理由とは、ファンが絶賛した前作『ラストオブアス』もポリコレに配慮された作品だという事なんです。

ラスアス2の主人公であるエリーは前作のDLC時点でレズビアンでしたし、ビリーという主要キャラクターはゲイでした。これ以外にも、日本人には分からなくてもアメリカ人にとってはポリコレに配慮されていると感じる部分があるのでしょうね。

他にも、世界的に評価が高い『ライフイズストレンジ』という名作もポリコレに配慮しています。主人公の恋愛対象を男性・女性好きな方を選べますし、現実の社会問題にもガッツリ切り込んでいるんですよね。

これらの作品は分かりやすいぐらいポリコレに配慮しているのですが、そういった理由で低評価を付けてる人はほとんどいないんですよね。

作品に対する不満をポリコレに擦り付けているだけ

となると、ラスアス2が炎上・低評価されているのは『ポリコレ配慮が理由ではない』という事になります。

大きく分けて以下の2点が炎上・低評価に至った理由と考えられます。

それは、『プレイヤーにとって思い入れのあるキャラクターの虐殺』と『復讐相手をプレイヤーが操作しなければならない』というものです。「ポリコレへの配慮」を口にしている人の多くがこれらをセットで主張しています。

しかし、この2点はあくまでゲームの欠点ではなく価値観の問題なので、批判したい人には消化不良なんですよね(「楽しめる人もいるのに、楽しめないのは自分のせいだ…」と言い換える事ができますからね)。だから、「ポリコレ配慮によって作品が破壊された!」という様な『もっともらしい理由を創作してポリコレに問題を擦り付けている』というわけなんです。

ポリコレに配慮することの問題点

とはいえ、ポリコレ配慮は時に問題になることもあります。

それは、『創作の自由』が阻害される可能性です。

ポリコレに配慮するあまり、クリエイターが自由にゲームを制作出来なくなってしまっては本末転倒なわけです。

「ポリコレ配慮するな!」と低評価をしている人は、「ポリコレに配慮した結果、自分が望まない作品になってしまった」と思い込んでいるのかも知れません。

ポリコレに配慮するのは製作者の自由であり、第三者が騒ぐ事ではない

ラスアス2は前作以上にポリコレに配慮した作品なので、抵抗感を感じる人がいるのは分からなくもありません。

しかし、クリエイターの意思でポリコレに配慮しているなら第三者が騒ぐ事ではないんですよね。「ポリコレに配慮し社会的なメッセージを込めた作品を作りたい!」という思いで作っているならその意思を尊重すべきなんですよね。

先ほども言ったように、『創作の自由』が阻害されることが問題なのであり、クリエイターの意思なら何も問題ありません。むしろ、「ポリコレに配慮するな!」と文句を付ける事で、自由な創作が出来なくなってしまっては本末転倒なわけです。

騒ぐなら「ポリコレ配慮を無理強いされた…」というような告発があってからにすべきです。憶測で騒ぐことはクリエイターや作品への冒涜でしかありません。

ポリコレとは『多様性を認める』ということ

ラスアス2に低評価を付けている人に「理由も無くレズビアンや筋肉質な女を登場させるべきではない」という意見があります。言ってる本人は無自覚なのだと思いますが、これは典型的な差別なんですよね。

なぜ、一般的な男女は理由も無く登場しているのに、レズビアンや筋肉質な女性は理由も無く登場してはいけないのでしょうか?

「少数派(マイノリティー)だから」というのは理由になりません。その理屈で言うと、理由も無く『美男美女ばかり登場する日本のドラマ・映画・アニメ・ゲーム』のほうが余程偏っているわけです。

ですから、レズビアンや筋肉質な女性を登場させる事に理由なんて必要無いんです。理由を持たせること自体が差別なんです。

レズビアンや筋肉質な女性を登場させたければ好きに登場させれば良いし、美男美女を登場させる事にも理由なんて必要ないのです。

これが『自由な創作』であり『多様性』なんですよね。

LGBTも、マッチョな女性も、美男美女も登場させたければ自由に登場させれば良い。それが創作の自由。

LGBTが一般的な作品に文句を付けるだろうか?

ゲームにLGBT要素が入ると「ポリコレに配慮するな!」と騒ぐ人が多いことは今回分かりましたが、逆にLGBTに当てはまる人が一般的な作品に「LGBT要素を入れろ!」と騒ぐ光景を見ますか?

一部にはそういう人もいるかも知れませんが、まず見かけませんよね?

非LGBTの人がLGBT要素を見て不快に感じるのであれば、LGBTの人は一般的な作品を見て不快に感じているということになるわけです。しかし、LGBTの人達はそういった不満をイチイチ言わないのです。それはLGBTの人は立場上、多様性の大切さを理解しているからだと思います。

LGBTに当てはまる人は人口の1割程度いると言われていて、丁度左利きの割合と同じぐらいなんですよね。人口約1億人の日本だと1,000万人もいる計算になります。これはもはやマイノリティと言えない数字です。当たり前のようにLGBTの人が作中に登場しても何もおかしくないんです。

低評価レビューをする前に冷静になり「適切なレビューなのか」を考えるべき

蛇足になりますが、低評価レビューの多くは感情に任せ書き殴った様なものばかりで、見ていて不快になるものが非常に多いんですよね。

目立つのがキャラクターの容姿に対する悪態です。例えば、「ブス」「ブサイク」「ゴリラ女」と言ったものが多く見受けられました。親しみを込めてそういう言葉を使うケースもありますが、低評価レビューを見た限りでは感情的になって言ってるだけなんですよね…。

アニメなどの架空のキャラクターであれば許容出来ますが、ラスアス2のキャラクターはモデルとなっている人がいるんですよね(ラスアス2に限らず最近のゲームは実在の人物をモデルすることが多いです)。つまり、そういった容姿に対する悪態はモデルに対する悪態と同じなんですよね(参考までに動画を貼っておきます)。

また、他に気になった点としては、ゲーム配信者の動画で「クソゲー」などといったコメントする人が多い事です。

配信者がクソゲーと言ってて同調するなら構わないですが、そうでないのに言ってるなら配信者に対する迷惑行為でしかないんですよね。プレイするモチベーションが落ちますし、「視聴者が楽しめていないのでは?」と配信を止めてしまう可能性も出てきてしまうわけです。

作品に対して酷評するのは自由ですが、別の問題に擦り付けたり、人を傷つけるレビューをしたり、迷惑をかけるような言動はすべきではありません。一度、冷静になって「適切なレビューなのか?」をよく考えてから発信してもらいたいですね。

ラストオブアス2はポリコレにも配慮した名作

というわけで今回は、「ラスアス2の炎上・低評価の理由はポリコレ配慮ではない」というテーマで話しました。

ラスアス2はストーリー展開の評価が真っ二つに分かれる作品ですが、個人的には衝撃的で重苦しいストーリーはかなり高い評価ですし、ポリコレにも配慮した多様性のある名作だと思いました。また、ラスアス2は考察するほど良さが見えてくる作品でもあるので、時間をかけて評価が高まってくると思います。

色んな意味でゲーム史に名を刻んだ作品であることは間違いないので、興味を持たれた人は遊んでみてはいかがでしょうか?

» Amazonでラストオブアス2を購入する
» 楽天でラストオブアス2を購入する

最後まで読んでいただきありがとうございました。この記事のご意見・ご感想は下記ツイートに返信お願いします!

今注目のPS5・PS4ソフト

PS5本体の購入・予約はこちら

Amazonでも普通にPS5が購入可能になりました(一部のエディションを除く)! PS5に最適化したゲームはロード時間がほぼ無いので快適なプレイが楽しめますよ!