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更新日:2021年03月12日

「ゲームのポリコレ配慮止めろ」という意見は多くの名作を否定することになる理由【ラスアス2】

 

近年、様々なゲーム作品が少なからずポリコレに配慮し、人種や性別に対する偏見を無くそうとする取り組みが行われています。

しかしながら、「ゲームにポリコレ要素を持ち込むな!」などといったポリコレ批判を多く目にします。

その中でも、2020年にGOTY(ゲームオブザイヤー)を受賞したPS4用タイトル『ラストオブアス2(The Last of Us Part 2)』に対しては過剰な批判も多く、「GOTYはポリコレに屈した!」などという言いがかりも少なくありません。

【ラスアス2考察】炎上・低評価とポリコレ配慮は無関係である理由【ラストオブアス2】

色々な意見があるのは当然ではありますが、ポリコレ要素を批判することは歴史に名を連ねる名作を否定することにもなりかねないんですよね。

今回はその理由についてお話ししていきます。

なお、前提としてこの記事は「ポリコレの必要性は理解しているけど、ゲームに持ち込むべきではない」という人向けです。ポリコレの思想そのものに反対する差別思想の持ち主はブラウザバック推奨です。

ポリコレを否定することは多くの名作を否定することと同じである理由

冒頭に説明した通り、ポリコレ配慮を否定することは多くの名作を否定することにも繋がります。

その理由は、名作には何らかの『メッセージ』が込められているからです。

名作に限らず、作品には少なからず何らかのメッセージが込められている場合がほとんどです。

例えば、「命の尊さ」「愛の素晴らしさ」「復讐の虚しさ」といったものは、もはや当たり前のように込められているんですよね。

であるなら、人種や性別への偏見を無くす『ポリコレ』というメッセージが込められていても何らおかしくないはずです。

つまり、ポリコレというメッセージを否定するということは、多くの名作に込められたメッセージを否定する事と同じことなんです。

なぜポリコレばかりが批判の的になるのか?

”人種や性別への偏見を無くす”というポリコレ思想が、間違っていると感じる人は少ないと思います。むしろ「命の尊さ」や「愛の素晴らしさ」を伝えることと同じくらい大切だと分かっているはずです。

では一体なぜポリコレばかりが批判されてしまうのでしょうか?

それは、世間の理解が追い付いていないからだと思います。

頭は正しい事だと分かっていても、感覚的に受け入れ難いのだと思います。誰しも染み付いてしまった価値観は簡単に変えられないからです。

多様な価値観を受け入れることが名作を生みだす

日本ではごく最近まで「女性は家庭を守ることが当たり前であり社会進出など非常識」だったわけですが、今では多く女性が男性と変わりなく社会で活躍できるようになったわけです。

それと同じようにポリコレ思想もあと10年、20年もすれば世間に浸透し、それが常識となるはずです。

今はまだ、違和感があると感じる人も多いかと思いますが、時代が進めば常識は変わるものです。

ポリコレに限らず安易に作品のメッセージを批判すれば、クリエイターが作品を作り難くなってしまいます。

特に日本では暴力的な表現が規制されたりして作品の魅力が半減してしまっているものも少なくありませんよね。

そういった教訓を踏まえて、私たちユーザーが表現に寛容になることが名作を生み出すことに繋がるのではないでしょうか。

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