イジメに関する議論は昔から行われていますが、未だにイジメ被害は無くなりません。それどころかネット文化の発展に伴い、イジメの幅は広がったとも言えます。
イジメを議論する上で、『イジメられる側にも原因がある』という意見があります。
今回はこの件について自論・見解をまとめていきます。
この記事の目次
「イジメられる側にも原因がある」は正しくもあり、間違いでもある
まず、「イジメられる側にも原因がある」という意見は事実なのか?という話をします。
結論から言うと正しくもあり、間違いでもあります。要はケースバイケースです。
理不尽な理由でイジメられるケースもあれば、客観的に見ても被害者が原因を作ってしまっているケースもあるんです。
イジメ被害者に原因があるケースとは?
世論を見ていると「イジメ被害者に原因があるわけがない!」という声が結構目に付きますが、そんなことは無いんですよね。
以下は、イジメられる原因となる具体例です。
- 嘘を付く
- 時間を守らない
- 約束を守らない
- サボりがち
- 自分勝手
いずれも、周囲に迷惑をかける行動なので、同じ事を繰り返せば周囲との関係は悪化して、イジメの引き金を引くことになる可能性があるわけです。
イジメ被害者に原因がある場合、仮にその環境でのイジメが解消しても(加害者が退学する等)、被害者にある原因が解消されない限り、イジメが繰り返される可能性は高いです(どこへ行ってもイジメられるという人は一定数いますからね…)。
ただ、発達障害などが起因となってる場合もあるので、周囲の理解も必要ではあるのですが、『多様性』の理解が追い付いていない現状では限界もあります。
被害者に原因があったとしても、イジメは許されない
被害者に原因が無い理不尽なイジメが駄目なのは当然ですが、被害者に原因があったとしてもイジメは許されません。
被害者に原因があるケースのイジメは、『群れで生きる動物の生存本能』によって生じるそうで、嘘を付いたり、約束を破ったりすれば、『群れの和を乱す者』として排除しようとするみたいなんですよね。こういう類のイジメは他の動物でも見られます。
しかし、人間は他の動物とは異なり『ルール(法律)』と『知恵』があるので、いかなる理由があってもイジメは許されませんし、イジメをしなくてもその問題を解消する手段を考えられるはずなんです。
「イジメられる側にも原因がある」という発言はTPOをわきまえて発言すべき
「イジメられる側にも原因がある」という発言は、『失言』として受け取られることが多いです。
例えば、イジメによる自殺報道の感想として、その発言をする事は明らかな失言です。よく言われている「加害者がイジメを正当化するセリフ」と受け取られても仕方がありません。
しかし、『イジメを無くす為にはどうするべきか?』という議論の場で、その発言は失言ではありません。先ほど、話したようにイジメ被害者に原因があるケースもあるので、その部分に触れる必要性がある為です。
要するに、「イジメられる側にも原因がある」という発言は、TPOをわきまえて発言することが重要だということです。
イジメ加害者の良心に期待していてはイジメは無くならない。原因を無くす取り組みが必要
イジメの認知件数は平成25年時点では20万件だったのに対し、令和3年時点では60万件と約10年で3倍に膨れ上がっています。
出典:文部科学省
あくまで”認知”件数なので、隠れていたイジメが浮き彫りになっただけなのかも知れませんが、年間60万件ものイジメが発覚しているのは深刻な問題です。
これだけのイジメが存在し続けているのは、イジメ加害者の良心に頼り切っているからだと思います。勿論、道徳教育でイジメが駄目な事だと教えることは大切ですが、それだけでは不十分だと思います。
イジメ被害者になりそうな人に原因があるなら、イジメが起こる前に指摘してあげることが大切だと思います。本人が無自覚の場合もあるので、気付かせてあげないと今後の人生で苦労するのはその人ですからね。また、発達障害等が起因しているなら、そのケアも行うべきでしょう。
また、日本のイジメでは傍観者が多いと言われています。大多数を占める傍観者が協力すれば、ほとんどのイジメは防げると考えられるので、傍観者への適切な教育が重要だと思います。
そして、イジメ加害者には適切な処罰を与えるべきです。それが大きな抑止に繋がります。