あなたは『イジリ』についてどう思いますか?
人によってはイジリの捉え方は様々です。
- 「イジリはコミュニケーションの1つ」
- 「イジリとイジメの違いが分からない」
- 「イジリとイジメは区別して考えるべき」
というように色んな意見があります。
今回は、『イジリとイジメの違いを見極める方法』についての自論・見解をまとめていきます。
そもそもイジリとは何か?
辞書にはイジリについてこのように書かれています。
他人をもてあそんだり、困らせたりすること。
これだけ見ると、マイナスの印象が強い行為と言えますね。
しかし、家族、友人、恋人間であれば、イジリはコミュニケーションの1つとして成立する場合もあります。
イジリはイジメではないのか?
では、イジリとイジメの違いは何なのでしょうか?
辞書にはイジメについてこう書かれています。
自分より弱い相手を一方的に苦しめること。または、そうした行為。いじめを加える者は相手に対して立場が上であり、抵抗できない状況において、継続的に、身体的または精神的な苦しみを与える、といった形であることが多い。
ということなので、この要件を満たしたイジリはイジメに該当すると考えられますね。
言い換えれば、悪意を持って(苦しめるつもりで)他人をもてあそんだり、困らせたりすればイジメだと言えます。一度や二度ならただの嫌がらせかも知れませんが、継続的に行われればイジメでしかありません。
また、相手に悪意が無くても、受け手が嫌がればイジメに片足を踏み入れていることになります。
ちなみに私は、小学生の頃イジられやすい性格でした。
kakeru(カケル)という名前なので、音楽の授業で歌詞のフレーズに「~かける」という一文が入ると、そこだけわざと強調して大声で歌うクラスメイトが数名いたんですよね。その歌を合唱するたび、それをやられたので音楽の授業が苦痛でした。
相手に悪意があったかどうかは定かでは無いですが、私が苦痛に感じたのは事実です。
これをイジメと取るか、イジリと取るかは人それぞれだと思いますが、親密でもない人にイジられて、良い気持ちになる人はまずいないと思います。
イジリとイジメを見極める方法
悪意を持って継続的にイジることはイジメと見なすことが出来ますが、客観的に見て悪意があるかを判断するのは難しかったりします。
でも、1つ分かりやすい目安があります。
それは、「普段接していない人からイジられていないか?」です。
先ほど言ったように、余程気を許した相手でもなければ、イジられることは不快でしかないんですよね。
勿論、これだけでイジメと断定出来ませんが、嫌がっている可能性が高い以上は、周囲の人が止めるように促すべきです。
イジリがイジメに発展する可能性もある
最初はただのイジリでも、「相手の反応がもっと見たい」という欲求に駆られ、行動がエスカレートすることがあります。
こうなると、悪意が無かったとしても、やってることはただのイジメでしかありません。
イジメている本人はイジリという認識なので、罪悪感も薄くブレーキがかかりにくい状況だと思います。
なので、「あの人イジられているけど、そういう仲だっけ?」と疑問に思ったら、早めに策を講じることが大切だと思います。